宇和島の歴史や史跡について

宇和島は関ヶ原の戦いの功績により、徳川家康により領地を与えられた藤堂高虎が1601年に、宇和島城を築き歴史が始まりました。

その後、奥州の伊達藩、独眼竜伊達政宗の血を引く秀宗が1614年に宇和島藩主となり、明治維新まで伊達家による支配が続きました。

宇和島藩が全国的に脚光を浴びたのは、幕末に4賢侯の一人として活躍した宇和島藩第8代藩主伊達宗城の時期です。

司馬遼太郎の小説にも何度も登場しますが、宇和島藩はわずか10万ながら、蒸気船の軍艦を建造したり、大砲の鋳造所を作ったり、火薬製造所を設置したりして軍備の近代化と整備を行いました。

この近代化した宇和島藩が討幕派につくと、近隣の諸藩に影響力を与え、諸藩はこれに同調し、明治維新後も政府に対して発言力を持ちました。

1871年に明治政府の廃藩置県により、宇和島県が設置されましたが、その後愛媛県に編入されました。

1921年には宇和島町と八幡市が合併し宇和島市が生まれ、その後も周辺の町村を合併して現在に至っています。

宇和島の史跡としては、藤堂高虎が築いた鶴島城とも呼ばれる、美しい宇和島城があります。

ほかに幕末の高野長英の居住地、七代藩主宗紀の隠居所として建てられた天赦園、近代日本の司法権確立の範を示した児島惟謙の生誕地などがあります。